徳島へやってきた日
2009/08/02 津田港フェリー埠頭
接岸しようとしている「おーしゃんいーすと」。
阿佐東線の気動車2両はDMV化によって先日惜しまれつつ引退しましたが、そのうちASA-301は前回の記事のことがあった翌年2009年、九州の宮崎県、高千穂鉄道から遥々この船に乗って徳島へやってきました。
上陸の瞬間。全景を抑えるべく遠巻きに観察していましたが、この時の情景は今でも目に焼き付いています。ここから新天地での活躍が幕を開けました。もう11年も前のことになるんですね。。。
ゆっくりと慎重に引き出される見慣れない色の気動車。
一般トレーラの隙間に押し込まれた元:高千穂鉄道TR-201「かぐら」。
その後、阿佐東線へ正式引渡しの後、ASA-301「たかちほ」と名乗り変えることになります。
この夏、TR-201号の上陸を皮切りに徳島の鉄道の話題は大いに盛り上がりました。
ヘッドマークも方向幕も車内広告も当時のまま、この姿で約半年間本線を走ることになります。
まだ線路を走る姿を想像できなかった頃です。
このあと宍喰へ一晩中追っかけ、忘れられない一夜になりました。
2008年阿佐海岸鉄道キハ40代走
ここでは阿佐東線の過去を振り返りたいと思います。
今回はJR四国より阿佐海岸鉄道へキハ40が貸し出された当時の話題から。
もう12年も前、僕はまだ中学生でした。
2008/07/06 宍喰駅車庫付近
2008年の6月末頃、阿佐海岸鉄道の2台しか居ない自社車両のひとつであるASA-201「あさしお」が脱線事故により急遽廃車となりました。この時JR牟岐線も土砂崩れで阿南~牟岐がバス代行となっていた最中での衝撃的なニュースだった記憶があります。
そして牟岐線も復旧してしばらく経った9月1日よりJR四国からキハ40が貸し出され、予備無し1台体制の阿佐海岸鉄道へ応援が送り込まれたのです。
2008/09/01 鯖瀬駅
臨時列車として宍喰へ回送するキハ40 2110。徳島~牟岐は529D最後部に併結されました。
2008/09/01 宍喰駅
牟岐からの臨時回送列車として宍喰へ到着したキハ40 2110。
阿佐海へのキハ40乗り入れは1999年の特急「うずしお」と同時に乗り入れ廃止となって以来であったため、9年ぶりの入線でした。カメラを持ち始めてそう経たない頃の話題でしたが、まさかもう一度阿佐東線に乗り入れるヨンマルを拝めるとは夢にも思っておらず、これに感銘を受けて以来数年に渡って阿佐東線通いが始まるわけです。
2008/09/01 甲浦駅
乗り入れ営業一番列車に乗って甲浦へ。「うずしお」の乗り入れには乗った記憶が薄っすらありますが、ヨンマル君はこの時が初めてだったのではと思います。1999年頃までは海部駅での乗り換え便がほぼ無く、牟岐⇔甲浦でJRと阿佐海の車両が交互に行き来していたように思います。
「みなでのらんけ」観光PR等のノボリや頑張ってますアピールも一切無い最後のあたりでしたかね。
この2008年の出来事を皮切りに、次々と状況が変化してゆきました。
2008/09/04 宍喰駅
10時と14時の列車間合いに見られた宍喰駅での縦列駐車。何故こんな事になっていたのか今はほぼ思い出せなくなっているのですが、どうも自分の書いていた当時のブログ記事によると14時~翌10時まではASA-101を使用していたようなのです。
車庫には留置線が2線ありますが、確か事故の影響で引き上げ線が途中までしか使えず車庫に入れなくなり、引き上げ線の途中に車両を留め置いていたために本線上で2台並べる他なかったのだと思われます。車検代走というよりは、ASA-101の走行距離を抑えるのが主な目的だったような気がします。
記憶力の低下が著しい・・・。
2008/09/22 海部駅
車両交換は海部駅でも行われており、上り4556Dと下り4545Dが阿佐海直通便として運行され、阿佐海代走がJR側の循環運用に組み込まれていたのです。そのため海部でJRのヨンマル同士が並ぶという前代未聞のシーンが毎日見られました。
2008/09/06 辺川→牟岐間(JR牟岐線)
4545Dに関しては徳島発甲浦行きというロングランとなり、初日から数日間のみ「甲浦」の方向幕を出して牟岐線を走っていました。実際は海部で列番も線区も変わるので「海部」が正しいためか、数日で修正されました。残念。
2008/09/08 海部→宍喰間
夏を思わせる太平洋ブルーに四国色ライトブルーの気動車がよく似合っていました。
08年は残暑も厳しい年だった記憶があります。
2008/10/08 キハ40 2147車内
ヨンマルの車窓から望む、那佐の海。
あれから12年、今秋からDMV化計画により列車そのものが姿を消そうとしています。
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